ヨハネ 19:30
霊を渡す、という表現を考えすぎると、神の御子ご自身が自らの霊を手放したのか、というふうになってしまう。だが、この言い回しはもっと単純に、死なれた、ということを表すものであって、息を引き取ったとか、そういう言い方とさほどの違いはない。この言葉が告げようとしているのは、神の御子が人と同じように、死を受け止められたということである。ちょっと死んだふりとか、そういうことではなく、というものだ。渇く、と同様の意図が込められている。死すべき人間たちの救いのためには、御子ご自身の「死」が必要だということである。イエスの神としての威厳を重視しようとして、御子は死なない、などといった説を持ち出すことはしばしば見られるので、聖書の語っていることをしっかり受け止めていく必要がある。
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