第一コリント 6:19-20
代価とはむろん、キリストの十字架である。それだけの犠牲を払ってまで取り戻していただいた自分たちであることを考えるならば、どう生きるかを真剣に考えるべきと理解するはずだとパウロは書く。放縦もそうだし、それから単なる禁欲とか、あるいは他の人々から自由を奪って抑圧してしまうあり方についても、神が人に与えられた真の幸いを生きることを妨げようとする全てについて、それは神の所有権に対する侵害、反逆なのだ。信仰者たちこそが、事の重大さをよくよく知るべきである。
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