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2017年12月

正月の休み

 区切りが良いので、年内はここまでとして、正月の休みします。もちろん、聖書を読むこと自体は、お休みというような部類のものではないのですが。正月休みだからご飯を食べるのもお休み、という人はいないように、ですね。1/10からの再開にします。では、良い年を。

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第一列王記 6:37-38

 神殿は7年の歳月をかけて造られている。国力を注ぎ込んでのものと言える。この後、自分の王宮を建てる際には13年かけているし、規模ももっと大きいが、すでに書いたように、本来的に空虚な場所である神殿と、人々が出入りして政務に費やされる王宮とは、意味合いも大きく異なるのだ。7章後半には、神殿の様々な用具についても語られて、ソロモンが熱心に取り組んでいることがよく分かる。むろん、このことだけに専念していたのではなく、国を繁栄させていくための政治も行いつつ、であるが。

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第一列王記 6:14-36

 造作の細かい情報は、建てられたもののすばらしさを思い浮かべるには役に立つが、細かく記憶しなくてもいい。ただ、材木がふんだんに使われ、また金が惜しげもなく施されているのは印象的だ。ケルビムの図柄を多用しているのは、会見の天幕とも関連する。神ご自身を形にするわけにはいかないので、御そば近くにいるとされるケルビムを指し示すことで、神ご自身の栄光を垣間見るのだ。

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第一列王記 6:11-13

 神の言葉は重要だ。神はこの建設計画を認めておられる。だがそれは、立派な神殿を建てようとしているから、ではない。建物ではなく、ソロモンたちの歩みこそが注目されている。その日々が神の前に確かな者であればこその祝福であり、立派な建物を捧げてくれたから支援しよう、ではない。このあたりは、諸国、諸民族における祭儀の類では、神のために立派な建物を寄進し、そして祝福してもらう、というのが基本の構図で、それとは全く違うありようが、明確に示されていることを、後々の者たちも覚えておきたいものだ。

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第一列王記 6:1

 ここにある480年という数字は、厳密なものとして受け止めなくても良いだろう。聖書に出てくる数字は、しばしば象徴的な意味があり、また、概数として扱われているものもある。大ざっぱに言えば、エジプト脱出の早期説に類する年数であるので、3000年も後の者たちとしては、だいたいそのくらいと考えておけば十分だ。それより、エジプト脱出から500年近い年月が過ぎているとの指摘のほうが意義深い。それだけかけて、ようやくイスラエルはこの地に根をしっかりと張れるようになったのだという、そういう趣旨をこの記述からは思わせられる。ただ、それがすぐに瓦解していくことも、読み手たちは知っているのだが。人の迷走は尽きることがない。

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第一列王記 6:1-10

 現代なら、この寸法の建物はいくらでもある。だが、当時の社会では驚異的な大きさとして意識されたはずだ。それも、これは神殿であり、誰かが居住するわけではなく、祭司が聖所で奉仕する以外は閑散とした場所(周囲の庭部分は人々でごった返していただろうが)。そのためにこれだけの大きな空間が用意されたこと自体が、ソロモンらの神への思いが表されていると言える。この建物はモーセ時代の幕屋よりはるかに大きい。壮大さというだけでなく、民の増加も背景にあっただろう。それは、もともとはただの幕だった庭の仕切りを建物にして、たくさんの部屋を造ったことにも現れている。このあたりは、指示に反している、ということではなくて、必要に応じた改変と考えて良い。

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第一列王記 5:13-18

 膨大な人数が徴用されている。一般的には、大きな土木建築に携わると国の屋台骨をゆるがして滅亡を早めるということがあるが、ソロモンの場合は十分な資金力があった。彼以降は、これはふかのうだっただろうが。民の不満が出る可能性にも配慮している様子もある。それが十分だったかどうかは分からないが。ただ、神殿建設のような業においては、人の感覚として妥当な苦労を画策することよりも、事の意義を皆が自覚し、命じられてではなく自発的に取り組んでいくようなあり方が、最も望ましいと言える。出エジプト36:1-7のような様子である。

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第一列王記 5:7-12

 12節を見ると、ソロモンがヒラムに支払ったものは、ヒラムを満足させたようだ。小麦2万コルというのは、ソロモンの宮殿で消費される量の倍くらいである。友好を培い、互いに満足するためには、物惜しみせずに提供することも意義がある。それは物質や金銭だけでなく、時間や心なども含めての話だ。このことについて12節は、神が与えてくださった知恵ゆえのソロモンの判断だったとしている。4章終わりにあるような文化的知恵もすばらしいが、王としては、周囲と平穏が保たれるようにすることはさらに重要であり、彼は神に支えられて事を成し遂げていったのである。

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第一列王記 5:1-6

 ソロモンは神殿建設に取りかかろうとしているが、この事業は自分一人でできるものではなく、周囲の協力があってこそのもの。だから、隣国ツロの王に助けを求めたのは、望ましいあり方だったと思う。考え方によっては、こういう事業は神の民だけで取り組むべきもので、イスラエル人ではないヒラムを引き込むのは不適切、という説もありえるとは思う。だが、聖書全体における神ご自身の姿勢は、全ての民、である。むろん、反発する人に強制してでは意味がない。でも、ヒラムが主なる神に従う民ではなかったにしても、彼はこの事業に好意的で、積極的に応援しているのだ。こういう人々を歓迎するのは、全地の主、全ての民の主である方の神殿を建てることにおいては、むしろふさわしいと言える。

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第一列王記 4:29-34

 ここにある広い心とは、おおらかさとか寛容という意味ではなくて、多くの知識を受け止めていく力量のことだろう。本来、彼が願ったのは、民をふさわしく統治するための知恵だったが、ここではそれに留まらない豊かな知恵が語られている。王がそういう資質を持って周囲の国々と接していれば、きっと尊敬を集め、対立的ではなくなりやすいのだから、これは良き姿である。ただし、後々のことを知る私たちとしては、彼のそういう知恵が、ちゃんと良い方向で用いられていき続けたのかどうかは、それはまた別問題であることを思わせられる。良き賜物と、それがどのように生かされていくのかは、また別の話であるのだ。

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第一列王記 4:22-28

 むろん、ソロモン一人でこれだけすべてを食べたわけではない。小麦粉6900リットルだから。おそらく、王宮での消費量のことだろう。食料の豊かさは、ここにも書いてあるように、平和と安心の象徴でもある。ソロモンのやり方には強引さもあったかもしれない。それでも、彼はイスラエルに、そして周辺の国々にも安定をもたらした。それが人々に安心を与えたのは確かなことだ。統治者たるもの、人々の暮らしに安心を与え、穏やかに、心配なく暮らしていけるようにする責務がある。歴史上、しばしばそのことを忘れている支配者は多い。自分の利得だけしか見ていない人、あるいは、自己の損得は考えていないとしても、人々に穏やかな暮らしを与えることはとんと忘れてしまっているもの。それではその立場にふさわしいとは言えない。

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第一列王記 4:20-21

 ソロモンの時代、民はとても豊かな暮らしをしたようである。ソロモンのやり方に疑問はあるのだが、つまり、彼が求めていたのは結局、地上的豊かさばかりではなかったのか、ということだが、でもそれは、ソロモンだけでなく、その治世下で大いに楽しんでいた民自身の認識も問われるべきものだ。そう、ソロモンのあり方について、誰も声を上げようとはしていない。むろん、このあたりはまだ、立派な王としての姿のほうが強い。それでも、気になる萌芽のようなものがちょこちょこと指摘されているのを見ると、ちょっと待て、と言う者は誰もなかったことについて、聖書は厳しい目を向けているのだと、そう思われる。

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第一列王記 4:11,15

 12人の守護のうち、二人だけではあるが、ソロモンの娘婿が任じられているとの指摘が書いてある。娘婿だからだめというわけではなく、それ相応の資質を持っていたからこそ、というのが実態だったのかもしれない。それでも、この書き方には、暗に批判的なものが込められているように思わせられる。こんなふうに紹介されることに本人はどう思ったのだろう。嫌がったのか、それとも、ありがたく思ったのか。人は、何故にその場所に立っているのか、その理由というものは大きい。

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第一列王記 4:7-19

 一般的に聖書を読み進める上では、ソロモンの統治について詳しく理解する必要性はないと思うが、気になることはある。まず、王の一族に食料を納めるための守護が置かれていたということ。むろん、徳川幕府でも将軍家のために貢ぎ物はあったし、それが各地の経済的交流に資するものもあったと聞くから、そういう仕組みそのものを否定する必要はない。ただ、王家のためのと明記されているあたりが気になる。それが王の特権であることは第一サムエル8章にもある。でも、それを堂々と、当たり前のように制度化しているあたりに、ソロモンの感覚に不安を覚えるのだ。イスラエルの王は民のために存在する。王のために民が存在するのではない。ソロモン王の繁栄は国全体の豊かさにもつながっているけれど、それでも、疑問を拭いきれない。

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第一列王記 4:1-6

 ソロモンを支えた高官たちには、ダビデ時代からの人々も含まれている。また、祭司や預言者など、信仰的な意味合いを継承する人々も多い。このあたりは、ソロモンが自らの治世を、神の元に始めていこうとした様子が見えるのだと言えよう。この後、彼は神殿を建てて、イスラエルの信仰にとって良き基盤を整えていくことにもなるが、こういった高官たちは良き支えになったはずである。誰を友とし、誰をそばに置くのかは、大事なことである。後にレハブアムが自分の周りに置いた者たちの愚かさを考えると、なおさらソロモンの時代が良いスタートを切ったことの意義を思わせられる。

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第一列王記 3:16-28

 ソロモンの知恵が賞賛される出来事だが、25節の手法を思いついたのが知恵ということではない。時には、我が子を奪われるくらいなら死んだ方がまし、と考える親もある。その時々、相手によって、こういう手法というものは意味を変えていくものだ。だから、ソロモンの知恵は9節に語られていたとおりに、人々の心を見定めることのできる知恵、判断力である。聡明なだけではなく、その人をしっかりと見ることのできる心こそが、神が約束されたソロモンの知恵である。この点では、4:29-の様子は、本来、ソロモンが求め、王として必要であったものとは、少し様子が違ってきているように見受けられる。

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第一列王記 3:10-15

 神はソロモンの願いを評価されている。彼が求めたことが、王として良き姿勢であったからだ。それゆえに、彼が求めていないもの(13節 王が求めそうなもの)も与えると約束している。その上で、14節では、彼が言及しなかった信仰的な事柄を条件として、人間一般の幸いとされていた長寿を与えると語られている。ここだけ条件付けになっているところが、ソロモンの祈りの欠けを意識しているようにも見える。ソロモンの治世は40年でダビデと同じだが、即位はずっと早いので(10代終わりか)、ダビデほどには長生きしていない。14節は実現しなかったとも言える。

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第一列王記 3:5-9

 昨日の読み方で良いのだが、後のソロモンを知っている私たちとしては、この言葉に気がかりな点を考えておきたいとも思う。一つは、民の心を知りたいと願い、彼の治世の繁栄は民にも歓迎されたけれど、12:4からすると、その負担は民にとって重すぎるものになっていたようで、彼はそのことに気づかずにいたようだ。良き志で始めても、最後までその通りであり続けるかどうかは定かではない。もう一点、6節にあるダビデを語る言葉、「神の前に真実と正義と真心をもって歩んだ」ということこそがダビデの幸いだったと言っているのに、ソロモン自身は、自分もそうありたいとは願っていないのは気がかりだ。結局彼はそこでしくじった。王としての能力よりも神の前にどうありえるかが重要であるのだが、彼はそのことは願っていないのは、たまたまなのか、彼の心の底にすでにあった課題なのか。考えさせられる。

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第一列王記 3:5-9

 ソロモンの答えは、まずは素直に受け取った方が良いだろう。ダビデの偉業を受け継いだ自分だが、それにはあまりにも非力に過ぎると自覚して、だからこそ、民を正しく統率するための力が欲しいと願っている。それも、人々を支配できる力ではなく、善悪を聞き分ける心が欲しいと願っているのは注目に値する。彼は、民のために尽くす王であること、それも自分の考えを押しつけることではなく、民の思いを受け止めて社会を成り立たせる者であることを望んだということである。こういう姿勢は、王たちには滅多に見られないもので、神が喜ばれたのはよくわかる。彼の息子、レハブアムとの違い(12:14)は明らかである。

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第一列王記 3:2-4

 高き所というのは、その地域の中で、礼拝を行うのにふさわしいと見られる場所である。立地とか景色、あるいは何らかの、神に近いイメージを持ちやすいような場所でもある。諸宗教でも、そういう場所が礼拝に用いられており、その感覚は主なる神への礼拝においても似たようなものだった。ただ、その共通性の故に、後には混合が懸念されたり、他の神々が混在する課題も出てきて、だから、神殿以外ではだめ、という禁止も出されたりしている。そういうことがあるので、ここでは、まだ問題にはなかっていなかったのだという説明としても言及されている。ソロモン即位の段階では、エルサレムに会見の幕屋はあったけれど、他の場所での礼拝も頻繁だったのだ。

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第一列王記 3:1

 エジプトとの関係を大事に考えたのは、あの時代の国際情勢からすると妥当なものではある。力を蓄えつつあったイスラエルの王は、エジプト側としても味方にしておきたい相手だったはずである。あの地域の国々は、エジプトとの関係を無視してはやっていくことができない。ただ、そういう知恵が、ちゃんと機能していくのか、それとも落とし穴になるのかは、軸がどこにあるのかによって大きく変わる。この時点では、神との関係を軸にしていたようであるが、後には女性たち、あるいはその背後にある国々を重視するようになったために、ソロモンの王国は崩壊していくことになる。どれほど妥当に見えることでも、その土台がどこにあるかは重要なのだ。

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第一列王記 2:3-46

 シムイが出掛けていったのには、それ相応の理由はあった。だが、彼は自分の置かれている立場を忘れているか、あるいは、ソロモン王の禁令など些細なことと考えたということだろう。彼は奴隷を取り戻すために自分の命を捨てたのである。愚かなことだが、似たようなことは世界中にあるはずだ。人は神から与えられているいのちを大切にすることよりも、目の前の自分の利益を重視して、それが絶対だと言い張る。その結果がどれほど悲惨なものであるか、その実例は山のようにある。

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第一列王記 2:36-38

 シムイのことについて、ダビデは彼を赦すと宣言したから、アブシャロム事件のことで彼を断罪することはできない。ただ、最も苦しいときに攻撃する側に回った姿は、シムイの本質を示すものでもあり、看過できないものもあった。それでソロモンは知恵を働かせて、決着はシムイ自身に委ねる仕組みを取ったわけだ。このあたり、彼はもともとからしても、大いに知恵のある人だったようだ。シムイが本当に悔い改めていれば、問題なく生きることができる。だが、その態度が表面的なものに過ぎなければ、事態は厳しいものとなるのだ。この仕組みは、律法に定められていた逃れの町とも類似しているので、それを参考にしたのかもしれない。

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第一列王記 2:28-35

 ヨアブもまた、ダビデと共に生きてきた人である。ダビデの甥に当たり、ただし、同年代である。その近さから、ダビデに対しても率直に語る貴重な存在であったが、時に、自分の権力などを意識して、あるいはダビデのためにという理由から、ダビデの意図を無視して行動することもあった。適切に引退すれば、こういう終わりにはならなかっただろうが、残念ながら彼は自分の限界を悟らず、自分の過ちを認めることもなかった。ダビデがウリヤを殺したときに何も言わなかったのも彼である。もし、ヨアブではなくヨナタンがダビデの片腕になっていたら、ダビデの生涯はもっと輝いていたことだろうが。

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第一列王記 2:26-27

 エブヤタルは、祭司の一族がサウルによって殺された事件以来、ダビデと共に歩んできた人である。まさに苦しいときも共に歩んだ人である。ただ、最後の最後でダビデを捨ててアドニヤに加担したように、自らの権力ということを意識するようになっていたのだろう。ソロモンの時代にはもはや居場所を持つべきではない人だったのだ。27節は第一サムエル2,3章で語られた、エリの家系に対する神の宣告を指すものだ。これが理由で退けられたわけではなく、もしエブヤタルがまっとうに歩み続けていたら事態は変わっていただろうが、結果として見ると、あの言葉通りになってしまったという残念な思いが込められている、そういう言及と考えて良い。

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第一列王記 2:19-25

 ソロモンは、アドニヤの願いを不穏なものとして受け止めたようである。確かに、父のそばめになりかけた人をと願うのは道徳性には問題がある。それだけでなく、この行為には父を凌駕する意図だと受け取られても仕方がないところはある(第二サムエル16:21)。単に好きになっただけで、ダビデが相手にしなかったので問題なしと考えていたのだとすれば、それは甘いだろう。アドニヤはダビデの意図を求めもせずに王位を継承しようとした前歴があり、同じ意味合いを見て取られたのだと言える。ソロモンの行為を全面的に肯定するのは、現代の私たちには難しい。殺さなくても、と言いたくもなる。ダビデの家が血にまみれていることを、改めて痛感させられるものでもある。と同時に、ソロモンが国の安定のために必死で取り組んでいる、という意味合いも見ることはできる。

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第一列王記 2:13-18

 アドニヤの意図は必ずしも明確ではないが、アビシャグ自身にはさほどの権威性もないから、この結婚によって自分の地位を向上させようという意図は感じられない。彼としては、単純に見初めたということだったのかもしれない。それでバテ・シェバも引き受けたのだとも言える。もっとも、バテ・シェバという人は必ずしも聡明とは言いがたく、アビガイルとは違う。彼女が王の母になり得たことも、それもまた神のあわれみの結果であることを、聖書は強く意識しつつ語っているように思う。彼女自身は、どうもそのあたりを通り過ぎてしまっているようにも見受けられるのだが。もし、強く意識していたら、我が子を王に、などとはとうてい言い出せなかったようにも思う。むろん、ソロモンを王にというのは、神ご自身の計画でもあったので、結果としてはそれで良かったのではあるが、バテ・シェバの様子は、単に息子かわいさばかり、のようにも見える。

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第一列王記 2:10-12

 40年という月日を王として勤め上げるのは、相当の苦労であったろうと思う。権力の座が心地良いと思う人もあるだろうが、それでもなお、その立場は骨の髄からもエネルギーを搾り取ってしまっていたはずだ。むろん、当時の王位は死ぬまでというのが基本、途中で交代ということは想定されていない。であるにしても、やはり、よくぞ頑張ったと、そう言いたいと思う。ダビデの場合、少年期までは王位などと関係なく暮らしていたのだから、その厳しさはなおいっそうであったことだろう。旧約聖書は、先祖たちと共に眠りにつく、という言い回しで死を語るが、主のもとにある安らぎを思わせる言葉遣いは、なかなかに心地良く思われる。

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第一列王記 2:5-9

 ダビデがこのようなことを言い残したことをどう受け止めるかは、列王記のような歴史書では慎重であるべきだ。ダビデが言ったからというので、あるいは聖書に載っているからというので、その言動が肯定されていると考えるのが妥当とは限らない。後の推移の背景を示すために淡々と記録しているだけ、の場合もあるし、ダビデも間違いはあるのだから。ただ、この様子からすると、ダビデがヨアブやシムイのことについて、相当根深く恨んできたのだな、ということは分かる。いや、かつてはそれを受け止められたのが、今のダビデにはできなくなったと言うべきか。人は誰でもそういう時期を迎える可能性はある。だとすれば、余力のあるうちに、きちんと対処して、自分でもちゃんと納得して(ただの我慢でなく、飲み込むだけでなく)しっかり向き合えるような状態を整えておくべきだろうと思わせられる。

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第一列王記 2:1-4

 ダビデが言い残したことは、イスラエルの王として、いや、神の前に生きている人間として、大切な基本姿勢と言えるものだ。と同時に、ソロモンはバテ・シェバとの間に生まれた子である。であれば、なおいっそうダビデは、この子が神の慈しみのゆえに生きているということを意識していたはずだ。ソロモン自身はどこかで忘れてしまっているようであるが、自らの存在が神の哀れみのゆえであることを、私たちはきちんと自覚して、また、そこに大きな感謝と喜びが生ずることを、しっかり意識しておきたいものと、そう思う。

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