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2018年1月

第一列王記 8:27-30

 神殿を建てた理由が語られている。神の家であるが、でも、実際には神がこんなものに収まるはずはなく、むしろ、神がその目と耳を、心を、ここに傾けていただくための、その目印的な意味合いに過ぎないことを、ソロモンは認めている。そう、人のなしえることはその程度である。そして、この建物はむしろ、人のためである。人が神に祈り、人が神に願い、そして、30節のように赦しを求める、そのための場所という位置づけは、とても大事なことである。神を神殿という特定の場所に引っ張ってくるのではなくて、人が神を見上げるための手がかりとして、人にとって必要な場所として、という認識は、神を自由に扱うような間違いに陥らないためにも大切な認識である。

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第一列王記 8:22-26

 ここから、ソロモンによる長い祈りが書き記されている。この内容はとても大事なもので、神殿について、神の前に立つことについて、大いに考えさせられるものだ。まずは、神殿建設の出発点が、人々の思いや意欲、信仰ではなく、神ご自身の御業、約束、祝福にあることが語られている。神がダビデを守り導いてくださったからこその神殿、であるのだ。これは主なる神への信仰においてはとても大切なことで、人から始まるのではなく、ということは繰り返し問われるべきことである。さもないと、神によって助けていただくのか、それとも人の頑張りに対して神がご褒美をくれたという構図なのか、その違いがわからなくなってしまい、信仰が混乱してしまう。

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第一列王記 8:14-21

 この発言は、ソロモンの王権が正統であることを指し示すものにも聞こえるかもしれない。そういう意図が含まれている可能性を否定する必要もないだろう。ただ、これまでの神の導きを見るならば、告げられていることは事実であるし、そういう経緯に基づいてこそ、自分は神殿を建てようとしたのだというソロモンの表明は、それもまた大事なことではある。つまり、決してこの事業は、自分から発したものではなく、自分がやりたかったのでやったものでもなく、神ご自身の導きと指示に基づくもの、ということを明確にするのは、とりわけこれだけ大きなことを成し遂げた際には、大事なことだろうと思う。人のなすことには、当然に本人の意志や意欲がある。だがそれ以上に神の御心ゆえに、ということを大切にしていきたいものだ。

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第一列王記 8:12-13

 主は暗闇に住む、とは、申命記4:11からすると、シナイ山での光景を意識したもののようだ。暗雲に包まれた山上で、神はモーセと対面された。一方、詩篇18:2ではソロモンの父ダビデがサウルの追っ手から救われたときの歌で、このことにふれている。とすれば、神の守りと助けを思い浮かべる言葉ということになる。確かに、神殿建設によって人々は、神の守りと助け、共にいてくださる方のことを思い出しやすくなった。この13節にも通ずる。それと共に、契約の箱が置かれた至聖所は窓もなく、常日頃は暗黒の場所であって、人の雑多な日常との違いが意識されている。そのイメージからの言葉でもあろう。ソロモンを初め、民の深い喜びを感じさせられる。

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第一列王記 8:10-11

 神殿が神殿であるためには、壮麗な建物があることよりも、「主の栄光」がそこに満ちることが欠かせない。これは荒野の幕屋の時代から、聖書が繰り返し語り示している様子でもある。この時代には「雲」という目に見える様子でそのことが人々に示されているが、聖書全体で言えば、そこに主に祈り求める人々がいればこそ、ということが、主の臨在につながることも語られている(マタイ18:20)。ただしそれは、清らかな善男善女の、というようなものではないことが、この後、ソロモンによって告げられていくことは重要である。

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第一列王記 8:9

 神の箱は敵に奪われたこともあり、厳しい変遷をたどってきたけれど、十戒の板はちゃんと残っていた。ほかにも、マナの壺とアロンの杖が入っていたのだが、それらは途中で失われてしまったようだ。それでも、神との関係を問いかけるものが残っていたことは、民のこれからにとっては大事なことだ。あいにく、ソロモンも、その後の民も王も、十戒からの乖離がはなはだしくなっていく。十戒は、ただ持っているというだけではなく、その中身をしっかり見定めていくことこそが必要なのだ。

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第一列王記 8:6-9

 契約の箱はモーセの時代に造られたもので、長い辺が1.1m程度のものだから、飢えにかざされているケルビムの像(4.4m)は圧倒的な大きさになる。本来のケルビムは寸法の指定はないが、常識的には箱の飢えにちょうど良く載る程度だったろう。担ぎ棒の長さも指定はないので、そういう部分を拡張して、ソロモンは壮大なものを造っていったことになる。民が捧げた動物の数も膨大だと書いてあり、確かにこの時期のイスラエルは国力も甚大で、民も潤っていたけれど、それにしてもやりすぎではないのかと、少々心配になるほどのものだ。列王記の記者が、この様子を単純に喜び楽しんでいたのか、それとも疑問も含めて書いていたのかは、何とも言えないのだが。

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第一列王記 8:1-5

 エルサレムは、ダビデの支配していた時代から拡張されて行っているようだ。ソロモンが王宮や神殿を築いたのは、ダビデの町と呼ばれていた元の街並みの外側であったのは、当然でもある。まさか、民の住居を押しつぶして造るわけにはいかない。とは言え、その距離は500mくらいなので、郊外にあったはずの神殿が街並みの中に取り込まれていったのは、都市建設においてはよくあることだ。ともかく、この時点では拡張されたばかりの新しい街に整備された道を、人々は会見の幕屋の中心である契約の箱を、新たな安置場所である神殿へと運んでいった。それはソロモンだけでなく、民全体にとって誇らしい、壮観なものであったに違いない。

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第一列王記 7:51

 ソロモンは、これが父ダビデから託された事業であることを意識していたようである。自分一人の業績ではなく、受け継いだもの。それは財力だけでなく、神への志という点でも大事なことで、良き姿勢がこの時点では保たれていたことがわかる。ダビデは、自分で神殿を建てることを神から禁じられたが、それだけになおさら、ソロモンのためにと十分なものを用意しておいたようだ。このあたりを見ると、後継者はソロモンであると、ダビデ自身は前々から強く意識していたこともわかる。

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第一列王記 7:15-50

 細かい作業内容は、この王宮、ひいてはソロモンの勢力、神ご自身の力を知るという意味合いでは大事なことだが、ざっと読み進んでも良いだろう。もし、今それらの偉容を見ることができたらとも思うが、しかし、作られたものはやがては崩れ去る。神殿ですら、である。だから、あの時、その時点での豊かさを思えばそれで良い。実際、ソロモンの強い権力は、彼が死んだ時、あっけなく崩れていく。ソロモンの成し遂げたことは永遠ではなく、その時だけのものということは、大事な視点である。人は皆、今の時を、神の前にしっかり生きて、与えられた恵みを歩んでいく以上のことはできないのだ。

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第一列王記 7:13-14

 ヒラムといえば、ツロの王様の名前だが、むろん、それとは別人だ。本名か、それとも、ツロから呼ばれたのでヒラムと呼んだのか。王家に属する人、というわけではなさそうである。イスラエル人とのハーフであり、当時、そういう交流が一般的だったことを思わせられる。彼には豊かな才能があり、それが十分に用いられていったことが、王宮建設をさらに素晴らしいものへと導いているのがわかる。ソロモン一人ではどうにもならないわけで、賜物を託されている人々が集い、共に取り組んでこそ。これは出エジプト35:30-にも見られる光景である。

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列王記 7:9-12

 王宮の豪華さが語られている。記録した人々は、これを読む者たちがその様子を思い浮かべて、神がソロモンに与えた祝福がどれほど素晴らしいものであったのかを思い起こすことができるようにと、意図したのだろう。石造りの工法についてはあまり詳しくないが、日本の戦国や江戸時代の城壁(2500年後になる)に匹敵するようにも見受けられ、驚異的である。一方、メソポタミアの遺跡を思い浮かべると、当時最先端の文明とも対等に渡り合おうという様子が見える。それは決してソロモンの勝手な思い込みではなく、真の国力であったことが、神の祝福がどれほど豊かであったのかを指し示している。

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第一列王記 7:1-8

 ソロモンの王宮は、神殿よりも長い期間をかけて建てられている。もっとも規模の大きさからすれば、時間がかかるのは当然でもあるが。それに、神を礼拝するための場所という単純な構造の神殿と違い、政務のために用い、一族が住むための場所として使われる王宮は構造も複雑で、出入りする人の数だけで言っても規模が大きくなるのは必然でもある。それでも高さは同じというあたりに、ソロモンが神殿に対して抱いた敬虔な思いを見ることができるだろう。神殿を見下ろすような構造は避けようとした、ということか。杉材の多用は、日本では当たり前だが、石造りを基調とする地域では例を見ない贅沢なもの、と受け止めて良い。

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