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2018年7月

第二列王記 17:21-23

 ここまで来てようやく、ヤロブアムの罪が取り上げられている。彼は従来の信仰形態をそのまま利用しつつ、民を主へと向かわせないことに腐心した。最大の意図は、南王国に吸収されることへの警戒心だが、元々神が分裂させた民である。それは神ご自身が認めないということに、彼は全く思い当たらず、愚かな不安からはるかに重大な罪へと走ったのだった。ヤロブアムの罪とは、金の子牛を礼拝したことだけではなく、神ではないものを選択するという点にこそある。

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第二列王記 17:19-20

 ユダも、と告げられている。この時点では、ユダの王たちはまだまだ神に従う者のほうが多いのだが、途中から崩れていく王が多くなっているのは気になる所だ。おそらくこの箇所は、後のユダを踏まえた上での記述だろう。結局彼らも、神に助けていただくことを忘れて、自分たちの画策に走り、滅亡した。その背景には、神のみへの信仰、礼拝ということが崩れていたことがある。人は神から離れると、信仰面以外のところでも崩れていくという姿を、聖書は書き記している。

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第二列王記 17:13-18

 民の愚行が詳細に書き記されている。それはユダに対する警告であり、後々の人々に対する戒めでもある。神が繰り返し、預言者らによって呼びかけ続けていたことが語られている。確かに、エリヤもエリシャも北王国の人であった。神は忍耐強く、どこまでも関わり続けられたのだ。でも民はそれを捨てた。しかも、最も愚劣とも言われている、モレク礼拝の類もしている。それは全く何も彼らに益をもたらさないのに、である。ちなみに、バアルなどへの信仰がイスラエルの繁栄につながった事例は、一度も記されていない。何の得にもならないもの、しかも悪辣なものに、でも人々は恵み深い神よりもそっちを選んでしまっているのだ。人の姿を痛感させられる。

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第二列王記 17:7-12

 イスラエル滅亡には、当時の世界情勢も深く関係している。だが、神が守り支えてくださり、民もそれについていっていたら、国としての存続は可能だった。結局、彼らの滅亡は、その最も重要な支えである神ご自身を捨て、自らを滅ぼしたことによる。ここには、カナンの地にあった神々への信仰を取り入れたことが指摘されている。もっと強く、もっと素晴らしい方であると自分たち自身が経験したはずの主を捨てて、民は主の前に敗北したはずの民の宗教を取り入れた。愚かすぎることだけれど、結局それは、どちらが有利かではなくて、民は主についていくことを拒んだのだと言わざるをえない。「神の敵」となることを選択したのである。

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第二列王記 17:5-6

 アッシリアの支配は、民を根こそぎ移住させて、もとの系譜を完全に抹消させてしまうものだ。ペルシャのように民の自主性を利用するものとは違い、バビロンでもまだましだったけれど、確かにアッシリア方式は反乱の芽は完全に摘み取られてしまう。もっともそれは、民の力を活用して国を強力にする機会を自ら放棄するものでもあるのだが。北イスラエルに属した民は、歴史から姿を消す。南王国にすでに移住していた者、あるいはこの時期に逃げた者などはいるから、十部族出身の者も残りはするけれど、イスラエルと呼ばれた民はなくなってしまった。南王国の民はユダであり、後にもユダヤ人と呼ばれるわけで、すでにイスラエルそのものではなく、そこに与えられていた神の約束をどうにか継承していたに過ぎない。血筋としての民ではないことについての神の御心は、この時点ですでに明らかになっている。

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第二列王記 17:1-4

 北イスラエル王国最後の王はホセアである。2節にある「彼以前の王たちのようではなかった」という説明は印象的だ。まだまし、という程度とは言え、そういう彼が最後の王になるとは。国全体の滅亡は神ご自身の定めたものだが、タイミング的には、その時々の王たちの推移による部分も大きいことは、南王国の最後でも見られることだ。ホセアは、アッシリアに従属したふりをしてエジプトに助けを求め、それが決定的な事態をもたらした。この点も南王国とよく似ている。後にエレミヤは、バビロンに服従せよと民に呼びかけたが、人々はそれに耳をかさずに滅びの道を転げ落ちてしまった。神の定めはスケジュール表とは違う。たとえ処罰が定められていても、人はそれを先延ばししていただける可能性はある。聖書にもそういう場面は少なくない。ただ、ほとんどの場合は滅亡を選び取ってしまう人類。神の嘆きは激しい。

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第二列王記 16:10-20

 アハズ王は、アッシリアの礼拝装置を見て、魅力を感じたようである。宗教的意味合いからか、それともアッシリアの権勢を欲したのかは、ここだけでは分からない。いずれにしても、アッシリア的礼拝を取り入れるために神殿の造作まで変更したことになる。これまでの王たちは偶像に走ったときにも共存的な方法だったけれど、そんな遠慮は必要がないと考えたのだろうか。注目すべきは祭司ウリヤがこれに全面的に協力していることである。おそらく彼は大祭司である。金の子牛事件(出エジプト)のアロンを思い出す。最も抵抗すべき人が率先して手を貸しているのだから、どうにもならない。ちなみに、アハズが改変した神殿の造作を、ヒゼキヤが元に戻したのかどうか、列王記には言及がない。

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第二列王記 16:5-9

 この記録によれば、15:29に出ていたアッシリアの襲来は、ユダ王国のアハズ王が誘い込んだものということになる。そのことは北王国やアラムを衰退させたけれど、息子のヒゼキヤの時代にユダ王国自体を存亡の危機に陥らせることになった。目の前の利益に飛びつくことの愚かさを思うが、元々神は、危機に瀕した際には神にこそ頼るべきで、他国に頼るなど何度も告げていたことを思い起こす。アハズは王としての資質において深刻な欠陥を持っていたということになる。それにしても、北王国とは共存が本来であり、いや、北こそがイスラエルの本家本流なのだから、南が北を滅ぼそうとするなど、神が定めた本来の趣旨を完全に逸脱している。おごり高ぶりは自らをも壊してしまう。

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第二列王記 16:1-4

 ヨアシュ、アマツヤ、ウジヤ、ヨタムと、「主の目にかなうことを行った」と記録される王が続いたが、アハズは主を顧みない王となっている。もっとも、先の王たちも途中で堕落した者もいるので、そういう蓄積の結果という見方もあるだろう。人の世においては残念ながら、良き影響よりも悪い影響の方が、強く残る。けれど、そうやって先人たちの責任を問うことよりも、要は本人の問題、アハズ自身が何を選び、どう生きたのかの問題として考えるべきではある。罪深き状態は、人のせいにはできないのだ。それにしても3節にあるのは、モレク神への礼拝行為として、旧約の中で最も忌むべきものとされている行為である。それも「まねて」とあるから、それ自体に傾倒したわけでもなく、ただおもしろおかしくやったということか。彼自身の問題と、そして彼を王にしたことの問題性がある。この時点ではすでに世襲になっていて、神からの直接の指示は見当たらない。

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第二列王記 15:32-38

 話は南王国に戻ってくる。52年の治世を維持した父ウジヤに代わり、ヨタムが王位を受け継ぐ。16年は短いが、父が68歳まで長生きしたので(当時としては)、まあまあ世間並みというところか。信仰的にもほどほどに安定した王であったと記されている。信仰改革を行わねばならないような事態には対処できないが、そこそこの社会状況ならば治めていけるというところだろう。歴代誌でも安定した王としての評価が記されている。こういう王が代々続くならば、国として、社会としても大きな力になり得るのだが。

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第二列王記 15:29-31

 切望される安定だが、アッシリアが攻め込んできたことによって、事態は瓦解する。この地域はメソポタミアとエジプトという古代の二代文明をつなぐ位置にあり、通商面での繁栄が約束されている反面、どちらかも支配をもくろみやすい場所でもある。そういう領土欲か、先の貢ぎ物で味をしめたのか、ともかくアッシリアは攻勢をかけた。16章によれば南王国の誘導もあったようだが。北王国は北部と東岸部分の支配権を失い、衰退していく。ヤロブアム二世からまだ20年ちょっとなのに、繁栄は海の藻屑である。アッシリアの政策は、住民をそのまま捕らえ移すものだったので、力を蓄えて反撃、奪還、というふうにはなりにくい。その国の衰退は決定的である。

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第二列王記 15:23-28

 メナヘムはどうにか人々を治められたようだが、息子はそれだけの資質は持ち得なかったようで、2年で殺されている。王権というものは子どもに継承されてこそであるが(一代限りでは独裁者に過ぎない)、それがうまく進むのはとても困難と言えるようだ。ペカフヤを倒したペカにはギルアデ人が加勢したと記されている。彼個人の思いだけではなかったこと、ギルアデはヨルダン川東岸の地域だから、広い範囲での支持があったのだとも言えそうである。おかげで20年。せめて世の中が安定してくれないと、民としては路頭を迷うばかりである。

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第二列王記 15:17-22

 メナヘム自身はある程度の統治能力があったようだが、信仰的には何の改善もない。アッシリアとの対応も、彼なりには考えたのだろうが、結果的には、アッシリアの関心を深めてしまい、後の攻略につながったのかもしれない。この攻略を回避する方法があったのかどうかは不明だ。当時のアッシリアに対抗できる国はなく、まさに、神ご自身の助け以外には道は何もなかったと言えるだろうが。

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第二列王記 15:13-16

 ゼカリヤ王に謀反を起こしてエフーの王家を滅ぼしたシャルムは、あっという間に殺されて、終わってしまっている。1ヶ月というのは、王位と言えるのかどうかも疑問なくらいだ。王を滅ぼしてはみたものの、味方してくれる人はほとんどなく、王として行動する暇もなく、すぐさま謀反人として捕らえられ処刑された、みたいなものである。メナヘムの詳しい説明は書いていないが、10年は王位を保ったこと、寿命が尽きての死であることから、ある程度の人気をすでに持っていた将軍の一人だったのかもしれない。ただし、残虐な性格だったようである。

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第二列王記 15:8-12

 長い繁栄を誇ったヤロブアム(二世)の後継者が、ごく短期間で治世を終え、それどころから殺されて王家そのものを滅亡させられてしまうのだから、その悪行はよほどのものだったのだろう。北王国の場合、謀反は信仰的理由からではないだろうから、統治方法が愚劣に極まるものだったのだろう。それにしても、次々と入れ替わっていく統治者たち。士師記の時代を思うが、あのさばきつかさたちは寿命を全うしたのに対して、社会そのものの劣化はなおいっそうである。

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第二列王記 15:1-7

 南のアザルヤ王はウジヤという名前でも呼ばれる。基本的には善王であったとここには書いてある。ただし歴代誌では、彼が後に高ぶるようになり、神の定めをないがしろにする行為に出たことが記されている。彼が病を受けたのは、そのためだったとも書いてある。伝染性と見なされていたから、隔離されたのは自然なことである。ただ、この様子からは決して、宗教的な意味合いでの汚れの類としての扱いは見えないようだ。感染を警戒することと、存在を否定するような扱いとは全く別の話である。それにしても、良き王として歩み始めたのに、その後、悪に捕らわれていく王たちが次々と出てくるのは、何とも悲しく、情けないことである。

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第二列王記 14:23-29

 ヤロブアム二世と呼ばれることもあるこの王は、北王国の歴史で最も繁栄を築いた人である。その割に、淡々とした軽めの扱いである。列王記の意図は民が神の元に歩むかどうかにある、そのことがよくわかる例だ。むろん、事実関係は明記されているので、その実績はまさに偉大なものだ。ただしそれは、神が北王国をあわれんで、繁栄を戻してくださったのだということが明示されている。むしろこの点、つまり、神は逆らい続けている北王国を、それでもなお顧みて、愛おしんでおられることが、強く示されている。神は忍耐をもって悪を、罪を見逃してこられたと新約に出てくるが、その通りなのである。

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第二列王記 14:15-22

 例によって、北王国の王位と南王国の王位は、互いにその前後関係によって歴史が刻まれている。ヨアシュに痛い目に遭わされたアマツヤだが、相手よりも長く生きたようだ。この両国は、干渉せずに並立しているのが良いのだ。本来は、エルサレムの神殿を共有して、それを守るユダと民の発展を目指すイスラエルであれば良かったのだが。アマツヤの人気は凋落し、彼も父王と同じように謀反によって殺されている。ダビデの町に葬られたのはまだしもだが、二代続けて同じ命運というのは、本人としての屈辱感と、それから王位の威厳が失われていることの現れである。ユダの命運はまだまだ尽きないけれど、衰退は進んでいる。

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第二列王記 14:7-14

 エドムとの対決は、当時のユダ王としては通常の行動の一つと言えるだろう。ただ、その勝利がアマツヤ王を慢心させた。北イスラエルとの対決は、神ご自身が繰り返し禁じてきたものだ。北王国の問題はあるが、神ご自身が忍耐をもって関わっておられる。南王国にはそれを倒す権利などない。神の助けがないのだから、ユダ王国が勝利を手にできるはずもない。むしろ、さんざんにやられてしまい、大損害を被っている。エドムに勝った利益は帳消しというところか。城壁まで壊されて、さんざんである。アマツヤ王の人気も転落する。歴代誌によれば、このあたりのアマツヤは異教の神に手を出しつつあったようでもある。

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第二列王記 14:5-6

 父ヨアシュ王は家来の謀反で殺されたから、である。これを規律と見るか、復讐心に走ってしまった姿と見るか、聖書自体は評価を明示していない。ただ、当事者だけに留めて、子どもたちに累を及ばせなかったことは評価されている。それは温情ということではなく、神の教えにちゃんと従うという理由からである。人の行動には善し悪しあるが、もし、神の教えに聞き従っていこうとするならば、事が深刻な害悪になることを軽減させることは可能だ。ぜひとも御言葉に聞き従う者でありたい。

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第二列王記 14:1-4

 ユダ王国を継承したアマツヤ王は、基本的に神を大切にする人であった。ユダ王国としては、こういう姿勢を最低限のものとして保ちたかったのだが、後にはそれも崩れている。母の出身地が記されているのは、母という存在が原因で混乱することがあったからだ。高き所は民間の礼拝場所で、もともとはそれもよく用いられていたのだが、後には偶像礼拝に流用されることになり、廃止して神殿に一本化する傾向があった。なお、アマツヤは後に信仰面での乱れが生じてしまっている。積極的背信ではないが、神への誠実さとは言いがたい。父ヨアシュとは違い、後見人がいなくなったから、ではなかったようだが。第二歴代25に詳しくは載っている。

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第二列王記 13:22-25

 神に寄り頼もうとしないイスラエルは、厳しい境遇に置かれてしまっている。神の守りを投げ捨てているのだから当然ではある。もともとイスラエルはさほど強力な国ではない。だが、この箇所が語っているのは、そんなイスラエルのことを、でも神は投げ捨ててはおられなかったという点である。神のために貢献すれば祝福を、逆らったら刑罰をというふうに言われやすいが、神のなさることはもっと奥が深い。神の目はしっかりとイスラエルに注がれている。後にアッシリアによって滅びていったとき、神ご自身こそが最も悲しみ、嘆いたことだろう。

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第二列王記 13:20-21

 エリシャの死は、エリヤほど劇的ではない。活躍した預言者にも、人である限りは終わりの時が来る。その後を、他の人々がどのように受け継いでいくのかが問われていくのだが。21節の出来事はさほど重視すべき内容でも、扱いでもない。これを理由に、聖人の遺骨には力がある、みたいな話が広がってしまうのは聖書の意図する所ではない。むしろ、エリシャという活躍した人物によってもたらされた神の祝福の、最後の一つ、ということで良いのではないか。水を良くしたり、などと同類のもの、である。預言者による奇跡は、その人自身の力ではなく、あくまでも神ご自身の業なのだからして。ちなみに、そういった奇跡の意図は、一つには神の偉大さを知らせること、もう一つは、そこにいる人に助けを与えること、である。

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第二列王記 13:14-19

 この出来事を、諦めないで祈り求め続けるべき、という教えとして受け止めるのも良い。ただ、王自身は行動の意味を悟らずにいたようだから、もっと単純に、神の守りがあることを王に示したいというのが、エリシャの意図であったと考えても良さそうだ。それなのに、王が全く理解せずに無気力に言われたとおりに矢を射るだけだったので激怒した。それは怒りと言うよりも、イスラエルが神に頼ること、期待することをやめてしまったことについての、激しい悲しみを示すものだろう。エリヤ、エリシャと巨人とも言える預言者がいながら、その恩恵も受けながら、でも、イスラエルは神に立ち返ることはなかったのだ。

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第二列王記 13:8-19

 エホアハズの子ヨアシュが、北の次の王である。また同じ名前だが、南のヨアシュの息子は北のヨアシュに対して敵愾心をいだいていたようである(歴代25)。北のヨアシュについては、彼もまた悪に生きていたことが指摘されているが、一方で、預言者エリシャが死に至ろうとしていたときには駆けつけて嘆いてもいる。エリシャ個人への思いではなく。神への思いでもなく、手助けしてくれる人がいなくなってしまうことへの恐れのようだ。それなら、こうして応えてもらったからには従っていこうとすればよいものを、全くそういう様子がないのが、人の愚かしすぎる現実でもある。

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第二列王記 13:1-7

 同じ名前が出てくるので混乱しそうだが、ここに登場したのは北王国の新しい王エホアハズである。南の大祭司とは別の人だ。彼は神に従う人ではなかった。結果、国はアラムに大敗して疲弊した。だが、それでも彼が神に助けを祈り願ったとき、神はそれに応えてくださっている。その人を肯定するわけではなく、全面的に信仰に立っていたわけでもなく、でも、もし神に願うなら、神はそこ祈りに応えてくださる。ヨナ書にあるニネベの場合もそうだったが、神のこういう取り扱いは、よくよく注目しておくべきだ。そうすれば、善行への報いとしての助け、ではないことに気づかせられるだろう。

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第二列王記 12:19-21

 ヨアシュは家来に謀反を起こされて死んだ。幼き時から国を整え直すために頑張ってきた人なのに、何とも悲しい最期である。47歳というのは、まだまだ、であったろうが。歴代誌によれば、アラムが攻めてきて、貢ぎ物で軍を引き上げさせたものの、ヨアシュは負傷して寝ていた時に襲われたようだ。とすれば、ふがいない王に対する反発から、ということになる。一方で歴代誌には、家来たちの行動が、ヨアシュが大祭司エホアハズの死後、その息子の忠告を聞かずに殺したことへの報復であったとも記されている。神がそういう報復を認めたのかどうかは疑問だ。でも、ヨアシュに関して言えば、彼は自ら招いた混乱の中で死に至ったのである。

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第二列王記 12:17-18

 国の危機に対して現実的な対応をしたのだと見るのか、それとも、弱腰に過ぎると見るのか。とりわけ、神に期待することが欠けているという指摘はあり得るところだ。列王記には記されていないが、ヨアシュは晩年に異教の導入を許容したということが歴代誌には書かれているので、こういう危機的な場面に遭遇した時に、それでも神にのみ寄り頼む決意ができるかどうかは、とても心許ない。世の中が平穏な時には、信仰的姿勢がほどほどでもさほどの影響はない可能性もあるが、危機に直面した時には、その姿勢はてきめんに事態を左右することになるようだ。

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第二列王記 12:9-16

 やり方を変えたので、それが適格に実施されるように、仕組みを整えたということになる。理念だけでなく、こういうふうに具体的な対処を整えていくというあたりは、エホヤダの誠実さの表れと見たい。この方式なら、祭司のところで資金の流れが不透明になることが避けられる。誠実にやっている、というだけではなく、それをちゃんと示せるようにしておくこともまた、必要な場合がある。ただし、工事に携わっていた人々については、誠実な取り組みを信頼して、あえてチェックはしていないようだ。祭司たちだけがチェックを受けるという姿勢を彼ら自身が取ったことは、注目に値する。人は自分自身についてこそ厳しくあるべきなのだ。

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第二列王記 12:4-8

 ヨアシュ王の指示は、ごくまっとうなものであったはずだ。律法でも、ささげものは神ご自身へと祭壇で焼かれたり、幕屋の必要のために用いると同時に、祭司たちの必要を満たす意味合いもあった。バアル信仰などによって混乱していた神殿が整え直され、祭司ら自身の暮らしも不安定になっていたのだろう。安心して職務につけるように、王は本来のあり方を戻せと命じたのだ。ただそれは、祭司自身が一切の財務を取り仕切ることだから、彼らが自覚を持たなければ瓦解する。そこが問題だったので、神殿の必要に関するささげものは祭司らから取り上げて、別途に管理するようにしたわけである。それにしても23年も放置されていたというのは、祭司らの怠慢とヨアシュ自身のうかつさ、あるいはエホヤダへの遠慮だったのか、そういう混乱があったことを露呈するものだ。それでも、こうして改革しようとしていることは意義深い。

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第二列王記 12:1-3

 7歳で即位したヨアシュは、エホヤダの養育を受けて、善政を敷いていく。ただ、気になるのは2節の言葉で、「エホヤダが彼を教えた間は」となっている。列王記では明示されていないが、第二歴代誌24:17-によると、エホヤダの死後、ヨアシュ王は異教の神々を受け入れたのだと書いている。本人が積極的にではない様子なので、民の願いには寛容であろうというのが彼の自覚かもしれないが、せっかくの国を混乱させる愚かな行動である。やはり、誰が指導者であろうが、教育係であろうが、変わらずに主の前に生きる姿勢を、自分自身のものとして手にするかどうかが、最も重要である。

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