申命記

申命記 34:9-12

 ヨシュアはモーセの後を継いだが、その意味合いは全く違う。ヨシュアは優れた指導者だったが、モーセは神の心を人々に届けるという、重大な役目を果たし続けたのだ。彼は、神と「顔と顔とを合わせて」語り合う者であったのだ。今、キリストのゆえに私たちは、神と向き合って語ることのできる関係を手にした。それは旧約の民にとっては驚愕すべき幸いであったはずだ。この意義深さを決してないがしろにすまい。

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申命記 34:5-8

 モーセの遺体は神によって葬られた。神ご自身の特別扱いである。モーセは衰えて、それで死を迎えたのではないと語られている。なすべき役目を終えたからこそ、神によって呼び戻されたのだ。人の生涯は様々で、120歳までというのは例外的だろうが、でも、その途中でもう自分は何もできない、だめだと思ってしまうのは悲しい。この存在は、神に呼び戻されるまでは、ちゃんと意味を持ち続けるのだから。

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申命記 34:1-4

 モーセは、自らの過ちによって、約束の地に足を踏み入れることはできなかった。でも、それは彼個人の満足に関連する話であって、民を約束の地まで導いた功績は揺るぎないものだ。神はモーセを最大級に認めておられるし、喜び、評価し、ねぎらってもおられる。だから今、これから民の進む土地を神はモーセに見せてくださった。自分は行けない。でも、自分が願い続けてきたとおりに民は進んでいく。それを知り得たモーセは大きな満足を手にしたはずである。人は、自分の時にはゴールに至らないことも多々あるだろう。でもそれを人々が受け継いで成し遂げることを知り得るならば、これは存外の喜びであるだろう。神がそこにおられるからこそ、一人の生命を越えた業が確かに展開されていくのでもある。

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申命記 33:26-29

 エシュルンとはイスラエルの別名だ。神がこの民をどれほど顧みてくださっているか、その愛と祝福に満たされて、この民は歩み進んでいくことができるのだとモーセは語る。ただそれは、民自身もまた神を求め、共に歩むことを喜んでこそ、でもある。その後の歴史は、この民がせっかく与えられた幸いを投げ捨ててしまったことを物語っている。なお、部族の列挙にはシメオンの名がない。この部族は早い時期にユダ部族に吸収されたと言われている。

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申命記 33:18-25

 これらの諸部族については、ひとまとめに触れておくことにする。失礼じゃないか、と言われそうだけれども、イスラエルの歴史においても、さほど目立つ存在ではない。ないのだが、でも、祝福そのものはちゃんと祈られ、求められていることにも注目したい。人それぞれに役目は違い、果たす効果も違う。でも、神が備えてくださる幸いは、それとは別にちゃんと整っている。人は目立つことや世の中での称賛の類を幸いと思いやすいので、自分たちは忘れられていると言いやすいが、真の幸いはもっと別のところにあるはずだ。

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申命記 33:13-17

 ヨセフはヤコブの継承者としての位置づけが強い。もっとも十二部族の場合はその全体でアブラハムの約束を継承したのでもあるが。マナセとエフライムの二部族であることもあって、その後もイスラエル全体の盟主的役割を果たすことになり、やがては北イスラエル王国の軸となる。そんな部族への祝福は、民全体の幸いにもつながる大事であったから、モーセの祈りも力強いものとなっている。

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申命記 33:12

 ベニヤミンは末の弟から出た部族だ。相変わらず、その民はイスラエル全体にとってかわいい存在だったのもしれない。でも、モーセの後、士師記の時代にはこの民はイスラエル全体と対峙して、あやうく部族全体の壊滅を見るところだった。主に愛されているもの、人々から愛されている者であっても、彼ら自身の心が神に向いていなかったら、そういう良い評判だけではどうにもならないのだ。

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申命記 33:8-11

 レビは祭司の家系が属するものであり、また民のために神にある奉仕に携わる責任も与えられていた。そんな重責ある部族について、モーセはやはり初めの方で取り上げて、彼らがその使命を真っ直ぐに生きられるように、全ての面での支えの必要性を祈り求めている。神によって導かれ、強められてこそ、その人は大切な業を遂行できるのだから。

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申命記 33:7

 兄弟12人の順序ではなく、注目点から祈られているようだ。ユダは後に単独で王を抱き南王国を築いていったように、その力は他の部族を凌ぐ勢力であったようだ。それゆえこの部族は自分の力を過信しやすかったのか。自らに寄り頼むのではなく、神にこそ頼り求めるべきことが、祝福の要として祈られている。後に、イザヤ7章では神に頼ろうとしない王への厳しい叱責が語られているので注目したい。そこにあることは、やがてキリストが到来されることにもつながる。

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申命記 33:6

 ルベンはヤコブの長男であり、本来は総領部族としての偉大さを兼ね備えているはずだが、祖先のルベンが悪事に手を染めたために、ヤコブから跡継ぎとしての資格を取り上げられていた。部族としての歩みにおいても、名前こそ最初に出てくるけれど、必ずしも優勢な状況ではなかったようだ。その実態は仕方のないことでもあるが、だからこそモーセは、ルベン族が保たれていくことを祈っている。時に、生きながらえていくことそのものが、何よりも願い求められるべき場合もある。ただの夢物語ではなく現実を生きる信仰である以上、そういう意識も必要となっている。

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