列王記

第二列王記 15:29-31

 切望される安定だが、アッシリアが攻め込んできたことによって、事態は瓦解する。この地域はメソポタミアとエジプトという古代の二代文明をつなぐ位置にあり、通商面での繁栄が約束されている反面、どちらかも支配をもくろみやすい場所でもある。そういう領土欲か、先の貢ぎ物で味をしめたのか、ともかくアッシリアは攻勢をかけた。16章によれば南王国の誘導もあったようだが。北王国は北部と東岸部分の支配権を失い、衰退していく。ヤロブアム二世からまだ20年ちょっとなのに、繁栄は海の藻屑である。アッシリアの政策は、住民をそのまま捕らえ移すものだったので、力を蓄えて反撃、奪還、というふうにはなりにくい。その国の衰退は決定的である。

|

第二列王記 15:23-28

 メナヘムはどうにか人々を治められたようだが、息子はそれだけの資質は持ち得なかったようで、2年で殺されている。王権というものは子どもに継承されてこそであるが(一代限りでは独裁者に過ぎない)、それがうまく進むのはとても困難と言えるようだ。ペカフヤを倒したペカにはギルアデ人が加勢したと記されている。彼個人の思いだけではなかったこと、ギルアデはヨルダン川東岸の地域だから、広い範囲での支持があったのだとも言えそうである。おかげで20年。せめて世の中が安定してくれないと、民としては路頭を迷うばかりである。

|

第二列王記 15:17-22

 メナヘム自身はある程度の統治能力があったようだが、信仰的には何の改善もない。アッシリアとの対応も、彼なりには考えたのだろうが、結果的には、アッシリアの関心を深めてしまい、後の攻略につながったのかもしれない。この攻略を回避する方法があったのかどうかは不明だ。当時のアッシリアに対抗できる国はなく、まさに、神ご自身の助け以外には道は何もなかったと言えるだろうが。

|

第二列王記 15:13-16

 ゼカリヤ王に謀反を起こしてエフーの王家を滅ぼしたシャルムは、あっという間に殺されて、終わってしまっている。1ヶ月というのは、王位と言えるのかどうかも疑問なくらいだ。王を滅ぼしてはみたものの、味方してくれる人はほとんどなく、王として行動する暇もなく、すぐさま謀反人として捕らえられ処刑された、みたいなものである。メナヘムの詳しい説明は書いていないが、10年は王位を保ったこと、寿命が尽きての死であることから、ある程度の人気をすでに持っていた将軍の一人だったのかもしれない。ただし、残虐な性格だったようである。

|

第二列王記 15:8-12

 長い繁栄を誇ったヤロブアム(二世)の後継者が、ごく短期間で治世を終え、それどころから殺されて王家そのものを滅亡させられてしまうのだから、その悪行はよほどのものだったのだろう。北王国の場合、謀反は信仰的理由からではないだろうから、統治方法が愚劣に極まるものだったのだろう。それにしても、次々と入れ替わっていく統治者たち。士師記の時代を思うが、あのさばきつかさたちは寿命を全うしたのに対して、社会そのものの劣化はなおいっそうである。

|

第二列王記 15:1-7

 南のアザルヤ王はウジヤという名前でも呼ばれる。基本的には善王であったとここには書いてある。ただし歴代誌では、彼が後に高ぶるようになり、神の定めをないがしろにする行為に出たことが記されている。彼が病を受けたのは、そのためだったとも書いてある。伝染性と見なされていたから、隔離されたのは自然なことである。ただ、この様子からは決して、宗教的な意味合いでの汚れの類としての扱いは見えないようだ。感染を警戒することと、存在を否定するような扱いとは全く別の話である。それにしても、良き王として歩み始めたのに、その後、悪に捕らわれていく王たちが次々と出てくるのは、何とも悲しく、情けないことである。

|

第二列王記 14:23-29

 ヤロブアム二世と呼ばれることもあるこの王は、北王国の歴史で最も繁栄を築いた人である。その割に、淡々とした軽めの扱いである。列王記の意図は民が神の元に歩むかどうかにある、そのことがよくわかる例だ。むろん、事実関係は明記されているので、その実績はまさに偉大なものだ。ただしそれは、神が北王国をあわれんで、繁栄を戻してくださったのだということが明示されている。むしろこの点、つまり、神は逆らい続けている北王国を、それでもなお顧みて、愛おしんでおられることが、強く示されている。神は忍耐をもって悪を、罪を見逃してこられたと新約に出てくるが、その通りなのである。

|

第二列王記 14:15-22

 例によって、北王国の王位と南王国の王位は、互いにその前後関係によって歴史が刻まれている。ヨアシュに痛い目に遭わされたアマツヤだが、相手よりも長く生きたようだ。この両国は、干渉せずに並立しているのが良いのだ。本来は、エルサレムの神殿を共有して、それを守るユダと民の発展を目指すイスラエルであれば良かったのだが。アマツヤの人気は凋落し、彼も父王と同じように謀反によって殺されている。ダビデの町に葬られたのはまだしもだが、二代続けて同じ命運というのは、本人としての屈辱感と、それから王位の威厳が失われていることの現れである。ユダの命運はまだまだ尽きないけれど、衰退は進んでいる。

|

第二列王記 14:7-14

 エドムとの対決は、当時のユダ王としては通常の行動の一つと言えるだろう。ただ、その勝利がアマツヤ王を慢心させた。北イスラエルとの対決は、神ご自身が繰り返し禁じてきたものだ。北王国の問題はあるが、神ご自身が忍耐をもって関わっておられる。南王国にはそれを倒す権利などない。神の助けがないのだから、ユダ王国が勝利を手にできるはずもない。むしろ、さんざんにやられてしまい、大損害を被っている。エドムに勝った利益は帳消しというところか。城壁まで壊されて、さんざんである。アマツヤ王の人気も転落する。歴代誌によれば、このあたりのアマツヤは異教の神に手を出しつつあったようでもある。

|

第二列王記 14:5-6

 父ヨアシュ王は家来の謀反で殺されたから、である。これを規律と見るか、復讐心に走ってしまった姿と見るか、聖書自体は評価を明示していない。ただ、当事者だけに留めて、子どもたちに累を及ばせなかったことは評価されている。それは温情ということではなく、神の教えにちゃんと従うという理由からである。人の行動には善し悪しあるが、もし、神の教えに聞き従っていこうとするならば、事が深刻な害悪になることを軽減させることは可能だ。ぜひとも御言葉に聞き従う者でありたい。

|

より以前の記事一覧